「やさしい日本語」は、外国人のためだけではない。

外国人材の受け入れについて話をしていると、「まずは日本語を覚えてもらわないと」という声をよく耳にします。もちろん、日本で働く以上、日本語を学ぶ努力は必要です。「郷に入っては郷に従え」という考え方も大切だと思っています。

ただ、介護現場や外国人支援の実務に深く関わるようになってから、強く感じることがあります。それは、「外国人が理解できない」のではなく、「日本人側が、伝わるように伝えていない」という場面が、実は非常に多いということです。

「察する文化」は、伝わらない

日本人は、察する文化の中で生きています。「これくらい言えば分かるだろう」「空気を読めば理解できる」「先輩を見て覚える」。こうした文化は、日本社会の中では効率的に機能してきました。しかし、海外で育った人にとっては、その暗黙の了解そのものが存在しません。

「様子を見てください」「適宜お願いします」「あとでやっておいて」——日本人なら自然に理解する言葉でも、外国人スタッフには「何を」「いつ」「どこまで」やればいいのかが分かりません。これは日本語能力だけの問題ではなく、日本語そのものが文脈依存の強い言語だからです。

伝わることは、技術であり敬意である

私は、外国人材の支援をする中で、これは単なる外国人対応の話ではないと感じています。本質は、「相手に伝わるまで考える力」です。

介護でも同じです。専門用語ばかりで説明しても不安はなくなりません。認知症の方に長い説明をしてもかえって混乱することがあります。介護職が自然と安心できる言葉で相手に合わせて伝える工夫をする——この力こそ、「やさしい日本語」の本質だと思っています。

「簡単な言葉」ではなく「具体的な言葉」へ

ただし、「簡単な日本語を使えばいい」という話ではありません。幼い言葉を使うことでも、ひらがなを増やすことでもありません。本当に大切なのは、「相手が行動できるレベルまで具体化すること」です。

これは外国人材だけでなく、日本人の若手育成でも同じです。離職やミスの原因が、「能力不足」よりも認識のズレであることが少なくありません。

多文化共創とは、単に外国人を受け入れることではないと思っています。違いを前提にしながら、お互いに歩み寄り、伝わる努力を双方が持つこと。その積み重ねが、「一緒に働ける職場」になり、「共に生きられる地域」につながっていくと信じています。